2005年 10月号 NO.63
【こころの時代】

光凪の海 不知火
石牟礼道子



 水俣病《みなまたびょう》が発見されたのが1956(昭和31)年。去年の秋、水俣病関西訴訟の最高裁判所の判決で、対策を怠った国と熊本県の責任が確定しました。水俣病は、チッソ(当時は新日本窒素)水俣工場から不知火海に流された廃水に含まれるメチル水銀を原因物質とする中毒性の中枢神経疾患です。  作家の石牟礼道子《いしむれみちこ》さん(78歳)は、不知火海の天草《あまくさ》に生まれ、水俣で育ちました。水俣病患者の苦しみを描いた三部作が完結したのが去年のことです。今も水俣病認定を求める患者は絶えず、患者に対する差別もなくなっていないといいます。水俣病は終わっていないという石牟礼さんにお話を聞きました。 [聞き手 西橋正泰《まさひろ》]