人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。

『人生なんて夢だけど』(フレーベル館、2005)

アンパンマンの⽣みの親・
やなせたかし(1919-2013)の
初の⼤規模巡回展です。

漫画家、詩⼈、絵本作家、
イラストレーター、デザイナー、編集者など
多彩な活動を繰り広げたやなせは、
極上のエンターテイナーでもあります。
彼は「⼈を喜ばせること」を、
⼈⽣最⼤の喜びとしていました。

苛酷な戦争体験、家族との別れ、
様々な⼈との出会いに揉まれ、
「なんの
ために⽣まれて、なにをして⽣きるのか」
を⾃分に問い続けたやなせが
辿り着いたのは、
かっこ悪くても、
本当に困っている⼈に⼀⽚のパンを、
「あんぱん」を与えられるヒーロー像です。

本展は、2026年にやなせたかし記念館
アンパンマンミュージアムが
30周年を迎えることを記念し、
原画 約200点を中⼼に、
「やなせたかし⼤解剖」「漫画」「詩」
「絵本/やなせメルヘン」「アンパンマン」の
テーマで作品を紐解きます。

私たちに勇気を与え続ける作品を是⾮ご覧ください。

「夕陽の決闘」
「夕陽の決闘」 1998年
「やさしいライオン」
『やさしいライオン』 1975年
「手のひらを太陽に」
「てのひらを太陽に」 制作年不明

プロフィール

やなせたかし

やなせたかし

1919年、⾼知県出身(本名:柳瀬嵩)。東京⾼等⼯芸学校⼯芸図案科(現千葉⼤学)卒業後、東京⽥辺製薬宣伝部に⼊社。徴兵され復員後は⾼知新聞社で雑誌編集を担当。1947年上京、三越百貨店宣伝部を経て53年に漫画家として独⽴。舞台美術、作詞、ラジオ・テレビの構成も⼿がける。67年、「ボオ⽒」で週刊朝⽇マンガ賞受賞。73年創刊の雑誌「詩とメルヘン」(サンリオ)の編集⻑を務めた。同年『あんぱんまん』(フレーベル館 ⽉刊絵本「キンダーおはなしえほん」)発表。88年にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始、国⺠的⼈気を博する。作詞に「⼿のひらを太陽に」(1961)、絵本に『やさしいライオン』(フレーベル館、1975)ほか多数。
2013年、94歳で永眠。

OUTLINE

開催概要

山口

会期

2025年11月14日(金) ~ 12月28日(日)

会場

周南市美術博物館

休館日

月曜休館

※ただし11月24日(月・振休)開館、翌25日(火)休館

開館時間

9:30~17:00

※最終入館は16:30まで

観覧料

大人1,300(1,100)円、大学生1,000(800)円、
18歳以下無料

※( )内は前売および20名以上の団体料金

※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、 戦傷病者手帳を
ご持参の方とその介護の方は受付で証明できるものを提示していただければ
無料で観覧いただけます。

※本展をご鑑賞の際は、常設展も無料でご覧いただけます。

主催

周南市、公益財団法人周南市文化振興財団、
読売新聞社、KRY山口放送

協力

公益財団法人やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団、
株式会社やなせスタジオ、株式会社フレーベル館、株式会社サンリオ

後援

山口県、山口県教育委員会、
下松市・光市・田布施町及び各教育委員会

企画協力

世⽥⾕⽂学館

企画制作

NHK財団

特別協賛

仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール、
横浜アンパンマンこどもミュージアム、
名古屋アンパンマンこどもミュージアム&パーク、
神⼾アンパンマンこどもミュージアム&モール、
福岡アンパンマンこどもミュージアムin モール、
株式会社ACM、伊藤産業株式会社、
株式会社バンダイ、株式会社バンダイナムコエクスペリエンス、
株式会社不二家、レック株式会社

SCHEDULE

巡回予定

山口

2025年11月14日(金) ~ 12月28日(日)

周南市美術博物館

愛知

2026年2⽉6日(金) ~ 4月5日(日)

松坂屋美術館

福岡

2026年4月17日(金) 〜 6月14日(日)

福岡県立美術館

東京

2026年6⽉30⽇(火) 〜 9⽉6⽇(日)

世田谷文学館

熊本

2025年4⽉26⽇(土) 〜 6⽉30⽇(月)

熊本市現代美術館

京都

2025年7⽉11⽇(金) 〜 8⽉24⽇(日)

美術館「えき」KYOTO

鹿児島

2025年9月19日(金) ~ 10月20日(月)

かごしま近代文学館

など、全国数会場で開催予定

HIGHLIGHT

見どころ

第1章 やなせたかし大解剖

 やなせたかしは 94 年間の人生をとおして、その作品世界を追求し続けました。漫画家、詩人、絵本作家、イラストレーター、デザイナー、編集者など多種多様な仕事に向き合い、少しずつ、自らの思いを表現するヒーロー像を形づくりました。
 やなせの思いは、どのように育まれ、深められていったのか──。
第1章では、やなせの歩みを一望できる特大年譜と貴重な初期作品や資料とともに、「やなせたかし」をつくったさまざまな要素を大解剖します。
「おとうとものがたり」 「シーソー」 1977年
妻の暢と 1953年頃

第2章 漫画 人とのつながり

 子どものころから漫画家という職業に憧れを抱いていたやなせたかし。戦後、やなせは高知新聞社に入社しますが、漫画への思いが再燃し上京。1953年には漫画家として独立し、広告漫画や新聞への連載などを多く手がけます。しかし代表作には恵まれず、自身の進むべき方向を模索する日々が続きます。そんなやなせの転機となったのが、1967年のコマ漫画「ボオ氏」での「週刊朝日マンガ賞」の受賞でした。ずっと描き続け、自らが「パントマイム漫画」と名付けた、ウィットに富んだセリフのない漫画を確立したのです。
 第2章では、多彩な画風のコマ漫画や、「ボオ氏」の原画などを展示。今見ても色あせることなく、誰もがクスッと笑える魅力にあふれた作品の数々をご覧ください。
「メイ犬BON」 1959年
「ボオ氏」「鳩とトビウオの巻」 1967年

第 3 章 詩 うたうように生まれる

 やなせたかしは、1961年に「手のひらを太陽に」を作詞。1963年には初の詩集『こどもごころの歌』を自費出版し、その後も晩年まで詩作を続けました。1973年に創刊された、詩と絵を中心とした雑誌「詩とメルヘン」では30年間にわたり編集長を務めます。誰もが身近に感じるような雑誌や詩集を通して、人々の生活を豊かにしたいというのがやなせの願いでした。
 第3章では、抒情の世界をひろく発信し続けた雑誌「詩とメルヘン」の表紙原画や直筆の詩作品から、読む人の心にそっと寄り添う、やなせの詩の世界を巡ります。
「詩とメルヘン」1979年4月号表紙絵
「陽炎は春がくゆらすパイプのけむり」
「絶望のとなりに」 制作年不明

第 4 章 絵本とやなせメルヘン

 やなせたかしは漫画家として活動する一方で、絵本の創作にも取り組みました。自身が読みたいと思う物語をつくり、それらを「やなせメルヘン」と称します。やなせの物語には、血の繋がりがない家族の絆、種を超えて互いを思いやる心、外見でなく本質を見る大切さといった、「子ども向け」という枠に囚われることのない普遍的なテーマが描かれています。
 第4章では『やさしいライオン』や『チリンのすず』、『しろいうま』などの絵本の原画を展示。やなせが紡ぐ物語の真髄に迫ります。
『チリンのすず』 1978年
『しろいうま』 1976年

第 5 章 アンパンマンの誕生

 1973年、やなせたかしは絵本『あんぱんまん』で、ボロボロのマントを身にまとったキャラクターを描きます。それはアンパンでできた顔を食べさせて人を救う自己犠牲のヒーロー。その姿に込められた「自分を犠牲にしても、困った人を助けることが大切だ」というメッセージは世代を超えて共感を呼び、1988年のテレビアニメ化で国民的キャラクターとなりました。
 第5章では、やなせ自身がアンパンマンを解説した作品や絵本原画、各キャラクターの象徴的なシーンを描いたキャンバス画などで、アンパンマンの誕生からその広がりまでをひも解きます。
「顔をあげるアンパンマン」 1996年
『アンパンマン伝説』 「ばいきんまん登場」 1997年

Epilogue 人生はよろこばせごっこ

 やなせたかしの創作活動の根底には、人を喜ばせようとする精神があります。84歳で歌手デビューを果たしたやなせは、自らを「オイドル(老いどる)」と称し、数多くのステージやパーティーを企画してタキシード姿で歌い踊るなど、人々を楽しませることに心を注ぎました。その姿は「人生はよろこばせごっこ」というやなせの人生観の結晶でもあります。
 エピローグでは、やなせが企画したパーティー映像やステージ衣装、晩年の作品などを紹介します。やなせの遊び心あふれる「よろこばせごっこ」の世界をお楽しみください。
「やなせうさぎとアンパンマン」 制作年不明
やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムの開館にて 1996年